吉村竜児が出来るまで その4 ~小学校時代のいじめ

みなさんこんにちは^^
こころメンテナンス・インストラクターの吉村竜児です。

今回の話は、前回の父親の話と同時期に起こっていた話なので、
最初はひとつのエントリーにまとめて書くつもりでしたが、
えっらい長くなってしまって、自分でもおどろいてしまいました^^;

というわけで、今回はいじめの話です。

正直なところ、こんなぜんぜん楽しくもない話にお付き合いいただくのは
心苦しいところもあるのですが、何が伝えるべき話で何が伝える価値のない話なのか、
自分ではなかなか判断しきれなくて、こんな感じになってしまっています^^;

それでは、はじまりはじまりです~^^;

父と二人で暮らしていた頃、ぼくは小学校のクラスではひどいいじめに遭っていました。

たまたまクラスメイトの一人に、
「ぼくのおじいちゃんは中国人なんだよ」ということを伝えたところ、
数日後から「こいつ中国人なんだぜ!非国民だ!」みたいなことを言われて、
大勢の男子に取り囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けるようになりました。

担任だった若い女性の教師からもなぜか目の敵にされていたので、
いじめのことで相談しても相手にはしてもらません。

授業中でさえ、よくみんなの前でぼくのことを罵倒していたので、
クラスメイトたちからのいじめはエスカレートする一方でした。

とはいえ、今思えばぼく自身にも
みんなから嫌われる要素はあったな」というのも事実です^^;

当時のぼくは、父親のコミュニケーションのパターンを真似ていた部分が
多かったため、いつも相手よりも優位に立とうとする傾向がありました。

また、何事にも理詰めで白黒付けようとする傾向もあったため、
周りの大人たちからは、頭の回転が速い面白い子だと思われるか、
理屈っぽくていけ好かない子供だと思われるか、
両極端な評価をされることが多かったように思います。

ちなみに、集団でのいじめに遭っているということを父に相談した時には
「そういうときはリーダー格の奴を一番最初にぶっ飛ばせば
後の奴らはひるんでなにもしてこなくなる」
みたいなことを言われましたが、正直まったく参考にはなりませんでした^^;

また、おじいちゃんが中国人だと言ったら「非国民」と呼ばれるようになった事に関しては、
「なんでそんなことを言ったんだ?」
と たしなめられてしまいました。

元々ぼくが生まれ育った地域は、在日韓国・朝鮮人の多い地域で、
中国人も少数派ではありましたが、そこまで珍しい話でもなかったと思います。

こちらとしては普通に自分のおじいちゃんの出身地を伝えたつもりだったので、
父の言っていることはまったく理解できず、ただ父への不信感だけが募っていくだけでした。

また、母と二人暮らしをしていた頃、母からは学校でどんなにいじめられても
決してやり返してはいけないと言われ続けていました。

やり返したら今度はもっとひどい仕返しをされるようになるから、
相手が飽きるまでじっと無視して耐え続けた方が良い、というのが母の言い分でした。

これは子供の頃の母のケースでは上手くいっていたのかもしれませんが、
ぼくの場合は、「こいつは何をしても無抵抗だからいくらいじめても大丈夫だ」
と思われていたようで、返って逆効果だったんじゃないかと思います。

しかし、一度どうにも我慢が出来なくて、とってしまった行動があります。
いつもみんながぼくをいじめるように先導していた男子がいたのですが、
ある日、一人で歩いている彼を階段の踊り場でたまたま見かけた時に、
突発的に殴ってしまった事がありました。

ぼくは自分の母を裏切ってしまったような気がして罪悪感を感じていましたが、
どうにも衝動を止められなくて、彼の顔面を一発だけ殴りました。

彼はすぐに泣き出してぼくに謝っていましたが、そこになぜかちょうど良い
タイミングで担任が通りかかったため、今度はぼくが担任から平手打ちを食らいました。

担任の手にはまっていた大きな指輪がぼくのこめかみを直撃して、
痛みとめまいと吐き気でぼくはその場にうずくまってしまいました。

ぐわんぐわんしているこめかみを手で触ると、大きなこぶが出来ていました。
担任はぼくに対して「誰もいないところでいきなり殴るなんて卑怯だ」
とか「やり方が汚い」みたいなことを言っていたような気がします。

普通に考えたら、大人数で一人を取り囲んで暴行する生徒たちや、
それを横目で見ながら放置している教師の方がよっぽどおかしいだろ、
と思うのですが、当時のぼくのボキャブラリーではそんな反論も出来ず、
痛みと悔しさで泣くことしか出来ませんでした。

ぼくが殴ったクラスメイトは、それからしばらくの間はおとなしくなっていました。

しかし、担任からお墨付きをもらっているクラスメイトたちのぼくに対するいじめは
そうそうなくなることもなく、帰りの会が終わると同時に誰かが
「よーし、吉村狩りだ!」
と叫び、複数の男子がぼくを追いかけてくるというのが毎日の日課でした。

捕まったら取り囲まれて暴行を受けるので、ぼくは家まで必死で走って逃げ帰り、
玄関のカギとカーテンを閉め切った家の中で息を潜めて隠れていました。

このような状態は、クラスと担任が同じだった小学校三年と四年の間の二年間続きます。

その間におどろくほどにピタっといじめがストップしていた時期が2回ほどありました。

それは、担任が産休で休んだため、代わりの先生が入っていた時です。
どちらの回もそれぞれ別の先生が入っていて、その間は一切のいじめがなくなるのに、
いつもの担任が復帰すると同時にいじめが再開します。

そのことから、ぼくは担任に対して
「このクラスでの本当の敵はこいつだ」
と思うようになりました。

そして、
「だったら四年生が終わるまで耐えれば、クラス替えがあるから
五年からは担任が替わるかもしれない。そうすればぼくは助かるはずだ!」
という希望だけを胸に、ひたすら耐え続けました。

案の定、五年生に進級すると、担任は穏やかな初老の女性の先生に替わり、
いじめはあっけないぐらいにサクッと終わってしまった。

しかし、丸2年近くを警戒レベルマックスで過ごしてきたぼくは、その頃には
すっかり心を閉ざして、誰のことも心から信用することはなくなっていました。

はい、今回も重い話でしたね^^;
まぁ、こういう風に書き出してみると、ついつい自分視点になってしまうため、
ぼくが一方的にかわいそうな被害者みたいな構図になってしまいがちです。

しかし、実際は一方的なわけでもないという学びは、その後だいぶしてから訪れています。

その辺のいきさつも追々書いていきますので、今しばらくお付き合いください。

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