「愛と恐れ」について その1(愛の本質とは)
人生を変えたいなら、セルフイメージから♪
こころメンテナンス・インストラクターの吉村竜児です^^
今回は、全2回にわたって「愛と恐れ」についてお話ししていきます。
スピリチュアルな観点から、「愛」についてお話ししたいと思います。
一昔前までは、「スピリチュアル」というと、オカルトチックなイメージが根強く、
オカルトに興味がない人や懐疑的な人たちに伝えるのは結構苦労していました。
しかし、最近はオープンな認識が世間に広まってきているようで、
聞いてくれるみなさんのハードルも少し下がってきた感じがしています。
少しスピリチュアルな内容ですが、あまり身構えずに、肩の力を抜いて読んでみてください^^
皆さんは「愛」と「恐れ」と言うとどんなイメージがありますか?
「愛とは?」みたいなテーマで、数え切れないほどの本も書かれているので、
「ちょっと観念的で難しい」というイメージもあるかもしれませんね。
実は、ぼくも長いこと「愛」ってなんだかよくわかっていませんでした^^;
母方の祖父母が、家族を自分に従わせようとするときなどに
「愛」という言葉をよく使っていたこともあり、ぼくにとって「愛」とは、
恩着せがましく支配的な、重苦しい印象の言葉でした。
ぼくが「愛」を感覚的に捉えられたのは、娘たちが生まれて
子育てを始めてからです。
それまでは、人間はお互いに利害が一致する同士で協力関係を結ぶもの。
協力関係でないなら、基本的に干渉し合わないのが、
争わずに暮らすための最善策だと思っていたぐらいです。
これは、幼少期のぼくの環境に要因があると思います。
興味がある方は、↓も見てみてくださいね。
子育てを始めて、自分の中の「愛」に対しての感覚や価値観が
どんどん書き換わっていく体験は、まさに驚愕でした。
そのとき、ぼくは確かに「エネルギーの動き」のようなものの存在を感じていました。
「ああ、愛って、これのことだったんだ・・・」
今まで見聞きしてきた、たくさんの映画や小説などで語られていたもの。
ぼくにとっては、フィクションの中だけに登場するファンタジーの産物と思っていたものが
「うわぁ、ここに本当にあったよ・・・」
みたいな感じでした^^;
そして、本当の愛は、ぼくの祖母が人を支配しようとするときによく使っていた、
「私はあんたたちのことをこんなに愛しているのに・・・」
というセリフの中に登場する「愛」とは、明らかに違うものでした。
ぼくなりに、何か「愛」に変わる言葉で言い換えることはできないかと考えてみましたが、
このエネルギーの全体を包括して一言で捉えられる言葉となると、
「やっぱり『愛』かぁ・・・」
となってしまいました^^;
そして、「なるほど、この辺が言語の限界なんだろうな」
という結論にぼくは至ったわけです。
とはいえ、これはあくまでもぼくの個人的な見解ですが^^;
ただこのことから、言葉その物は記号にしか過ぎなくて、
本質はもっと捉えどころのない心のエネルギーみたいな
ものなんだと考えるようになりました。
そして、それらの本質的なエネルギーの情報を捉える感覚が、
肉体の五感とは別に人間には備わっているみたいだ、ということに気づきました。
これがいわゆる「第六感」です。
非常に微細な感覚ではありますが、五感と同じように
訓練で研ぎ澄ませていくことができます。
このことに気が付いたことで、当時勉強していた
心理学やヒーリングの学びが一気に加速していきました。
(つづく)