うつ症状からの脱出 その3 ~自分自身のパターンに気づく
人生を変えたいなら、セルフイメージから♪
こころメンテナンス・インストラクターの吉村竜児です^^
今回も引き続き、学生時代にうつを発症したときの話の続きです。
前回までのあらすじ
大学病院でうつ病の診断を受けたぼくは、抗うつ剤を処方されたことで、
ひとまずは行動的になる事ができました。
しかし、同時に「自分はぜんぜん幸せではない」という事に気づくことができました。
「抗うつ剤に一生頼り続ける人生は嫌だ!」
そう思ったぼくは、まずは心理カウンセリングを受けてみることにしました。
そして、カウンセラーの先生からの質問に答えているうちに、
自分でもわかっていなかった、自分自身の現状がだんだんと見えてきたのです。
当時ぼくは、カリフォルニアのサンノゼ州立大学で
コンピュータプログラミングの学科に通っていました。
サンノゼは、「シリコンバレー」と言われている、世界のIT産業の中心地です。
世界中から集まってくる学生たちも、最先端の技術を学んで
自国に持ち帰るために国費で留学して来ていたりとか、
まさに国を背負っているような人たちがひしめいていました。
そんなところにいたぼくは、実は本当にコンピュータのプログラミングを
学びたかったわけではありません。
なぜそんな学部に入ってしまったのかというと、大学の学部を決める直前に、
病気だった父が亡くなったことが大きく影響していました。
ぼくは、子どもの頃に父からよく言葉や肉体的な暴力を
受けていた時期があったため、父のことを嫌って反発していました。
中学を出てすぐにアメリカに留学したのも、アメリカに行けば
「父から離れることができるから」というのが大きな理由のひとつです。
父はかねてから、ぼくに「技術者になるように」とよく言っていました。
そのため、ぼくは逆に「技術者にはならないぞ」と心の中で決めていたのです。
しかし、そんな父がとうとう亡くなってしまうと、
今度は心にぽっかりと穴があいてしました。
今振り返ってみると、それまでのぼくの人生の大部分は
「父から逃げる・父に反発する」という目的のために、すべての決断をしていました。
つまり、「父を回避すること」が、ぼくの人生の根底にあるモチベーションだったのです。
その父が亡くなってしまったことで、急に反発する対象を
失ってしまったぼくは、そのまま「決断の基準」を失ってしまいました。
そして、急に亡くなった父に義理立てをしたいような、
反発していたことに対して罪滅ぼしをしたいような、
そんな気持ちになって、自分の進路を決めてしまったのです。
「大学の4年間は我慢して、就職してから趣味などで自分がやりたいことを探そう」
その時にはっきりそう思って大学と学部を選んだのをよくおぼえています。
その考えが「本質的に間違っている」ことが、今ではよくわかります。
人は我慢や回避では成長できないし、幸せにもなれません。
自分がやっていることに、本当に価値が感じられたときに
人は大きな力を発揮することができるし、大きく成長することができます。
当時のぼくのクラスメイトたちは、自分たちのやっている事に
ものすごい価値を感じていたことでしょう。
何しろ国を背負って来ているような人たちです。
あんまり興味はないけど「我慢してやり過ごそう」という考えで
取り組んでいるぼくでは、とても太刀打ちできません。
ぼくは勉強にもついていけないし、
クラスメイトとも話が合わないので友達もできない。
そして、どんどん孤独になっていきました。
しかも、自分自身が「つらい思いをしている」という自覚もありませんから、
つらいと感じている自分のココロは、ますます置いてけぼりにされていきます。
そして、気が付いたときには、ぼくのココロは、
ストレスの許容範囲を超えて、すでに折れていたのでした。
(つづく)