小さいトラウマ
こころメンテナンス・インストラクターの吉村竜児です^^
皆さんはトラウマというとどんなイメージをお持ちですか?
なんだか重くて深刻な雰囲気のある言葉ですよね?^^;
何かものすごいつらい目に遭って、
ものすごい心の傷を負ってしまい、
今でも悲惨な状態の気の毒な人、
みたいなイメージもあるかもしれません。
なので、そんなに大きな目立つ傷でないときは、
ぼくはトラウマという言葉を使うことを
意図的に避けていました。
確かにそういった大きなトラウマを抱えている
というケースがあることも事実です。
ですが、今日は抱えている本人も自覚がないような
小さなトラウマの話をしたいと思います。
そんな本人も気づいていないような小さな
トラウマなんて些細なことで、気にする必要も
ないように思われるかもしれません。
でも、これが実はけっこうやっかいだったりします。
というのも、ものすごく多くの人たちが、
自覚もないままにこれらの小さいトラウマを
ため込んでいて、知らないうちに人生がどんどん
窮屈になっていることがあまりにも多いからです。
トラウマというのは簡単に言うと心の傷のことですが、
心ってどんなときに傷つくのでしょうか?
「傷ついた~」って実感がある時はわかりやすいですが、
実はそんな実感がないときにもけっこう傷ついています。
まぁ、「傷」という表現がいつでも適切かというと
微妙なのですが。。。^^;
小さい物だと「ボタンの掛け違い」という表現が
しっくり来るかもしれません。
実はぼくたちの心は外的な要因によって
傷ついているのではありません。
というのは、まったく同じ場所に居合わせて
同じ経験をしたとしても、傷つく人と傷つかない人がいたり、
傷ついたとしても傷の度合いが違う人がいたりします。
つまり、その事柄にどんな反応の仕方をするかは、
一人ひとりがその事にどんな意味づけをしているかによって
まったく違うからです。
もちろん、多くの人たちが共有している傾向みたいなものも
あります。
では、より多く傷つく人と、それほど傷つかない人では
どこが違うのかというと、、、
すでに多くの傷を抱えている人の方が、より大きく
傷ついていきやすい傾向にあります。
なぜかというと、始まりはちょっとしたボタンの掛け違いだと
想像してみてください。
最初のボタンがひとつずれたまま全部のボタンを留めていったら、
最終的には全部のボタンがずれてしまいますよね。
物事の捉え方もこれと同じで、最初の方で何かの事柄に対して
自分にとってマイナスな影響を及ぼす意味づけをしてしまうと、
それ以降はその事柄を含むすべてにマイナスの意味がつき始めます。
そうやって、自分にとってマイナスな反応を引き起こしてしまう
事柄が、雪玉を転がしていくように大きくなっていきます。
しかし、一つ一つの事柄は小さく些細なことの積み重ねなので、
本人にはあまり自覚がありません。
気が付いたときには身に覚えのない雪だるまに押しつぶされて
身動きが取れなくなってしまったとしても無理もないことです。
これを癒していくのは、玉ねぎの薄皮を剥いでいくような
けっこう地味な作業です^^;
目立つ大きなトラウマが癒やされると、
ものすごいカタルシスがあって感動的だったりします。
玉ねぎの薄皮を剥いでいる時には、そんな大きな感動は
ないかもしれません。
しかし、気が付いたら以前よりものすごく気持ちが楽になっていたり、
性格が明るくなっていたり、周りの人たちとの人間関係が円滑に
なっていたりします。
自分自身が変わったと自覚するより先に、周りの人たちが
変化に気づいたり、周りの人たちの自分に対する態度が友好的に
変化していることに気づくかもしれません。
頑固で分からず屋だった家族や上司が急に優しくなったという
声もよく聞きます。
自分が感じている不満や不安の本当の出所がわからないときに、
人は自分か他の誰かを悪者にする傾向にあります。
そこから憎しみや罪悪感が生まれて、話は更にこじれていきます。
しかし、小さなボタンの掛け違いを直していくと、
こじれて絡まっていた糸がだんだんほぐれていくように、
人間関係も自然に改善していきます。
大きなカタルシスはなくても、人と人の距離がちょっと縮まる事には
深い感動を感じます。
地味だけど深い癒やしを大事にして、
これからもこころメンテナンスをやっていきたいです^^